今回は、柄にもなくエッセイ風の記事をかいてみます。私が「時間」というものに対して常々おもっていることで、「時間」と「もったいない」についての考えです。
日本には、「もったいない」という世界に誇れる言葉があります。
まだ使える物を捨てるのはもったいない。
食べ物を残すのはもったいない。
物を最後まで大切に使う。
この言葉には、単なる節約という意味を超えて、「価値あるものを粗末にしない」という精神性が込められています。
しかし、ふと考えることがあります。
私たちは、時間に対しても同じように「もったいない」と感じているでしょうか。
もちろん、「時間がもったいない」という言葉はあります。
ですが、その言葉には、物に対する「もったいない」と同じ重みがあるでしょうか。
意味のない会議で何時間も過ごす。
必要以上に人を待たせる。
非効率な手続きや慣習を当たり前として受け入れる。
こうした場面では、「時間を無駄にした」という感覚はあっても、「価値あるものを粗末にしてしまった」という感覚は、あまり強くありません。
それはなぜでしょう。
時間は目に見えません。
失っても、その場では何も壊れたようには見えません。
しかし、時間には、物以上に取り返しのつかない特徴があります。
時間だけは、決して戻ってこない。
お金はまた稼げるかもしれません。
物は買い直せるかもしれません。
しかし、今日という日は二度と訪れません。
さらに考えると、時間とは自分だけのものでもありません。
誰かが私のために一時間使ってくれたとしたら、その一時間は、その人の人生の一時間でもあります。
つまり、人の時間を大切にすることは、その人の人生を大切にすることでもあるのです。
日本には「一期一会」という美しい言葉があります。
この出会い、この時間は、一生に一度かもしれない。
だからこそ、その瞬間を大切にする。
この考え方は、実は時間に対する深い敬意を表しているようにも思えます。
もし「もったいない」の精神を現代に広げるなら、物だけではなく時間にも向けられるべきではないでしょうか。
「時間を粗末にすることは、命を粗末にすること。」
少し大げさに聞こえるかもしれません。
しかし、私たちの命は、時間そのものです。
一分、一秒は、人生が少しずつ形を変えている姿なのです。
だから私は、「もったいない」という言葉を、時間にも使いたいと思います。
会議を短くすること。
約束の時間を守ること。
相手を必要以上に待たせないこと。
そして、自分の時間も大切にすること。
それは単なる効率化ではありません。
人生という限られた時間に敬意を払うこと。
「もったいない」という日本の美しい精神は、これからは物だけでなく、時間にも向けられていくべきなのではないでしょうか。


コメント